末永ブログ
管理者の能力の伸び
2019年4月1日
管理者として役割発揮の力が伸び続ける人、ある程度まで伸びたが横ばいの人、期待されながらもなかなか伸びない人があります。いろいろな要因がありますから一概に言えません。
伸び続ける人というのは多くはありませんが、あり得ます。この人は、陰ながら相当の努力をしている人ですが、以前に大きな失敗をしてそこから立ち上がったとか、思うようにいかない時期を上司や家族の力で乗り切ったとか、大きな問題を苦心惨憺してクリアしたなどということがあります。このような体験というのは人の底力を目覚めさせて肚が据わって潜在意識の壁が取り外されます。今まで潜在的に秘めていた能力が、その出来事をきっかけにして潜在意識の壁が取り払われて顕在化したイメージです。人の力というのは眠っているものだと思いますが、本人が内在している力を引き出そうという発想をしなかったから表れなかったとも言えます。
次に、ある程度まで伸びたが横ばいの人があります。なぜ横ばいになるかといいますと周りに起こっている変化に適応できないからです。適応できないというのは、本人が守りたいものがあって、例えば、これまでのやり方でやりたいというような場合です。そのやり方に固執する余り役割発揮が思う様にならなくなる場合です。つまり、そのやり方を捨てて次のやり方をやらなければいけない場合に新しいことにトライして上手く行かなかった場合に自分を傷をつけたくないためです。攻めよりも守りが先行してしまうのです。確かに変化を受け入れるというのは簡単なことではありませんが、先ほどの潜在意識の壁を取り払ってみれば本人にはまた違う能力が眠っているかもしれません。何が眠っているかは分かりませんが、自分の持てる能力を信じてみる、つまり自分はどのようなことに一番力が発揮できるかを掘り起こすことはやってみる必要があります。
さらに、期待されながらもなかなか伸びない人についてです。役割には知識やスキルも必要ですからその点の学習を怠っていれば論外です。しかし、意外に多いです。学習していないのです。今の時代に学習しないで仕事ができることなどあり得ないです。違う面で考えると、その役割に適性がないのかもしれません。適性が初めからあってできている人ばかりではなく試行錯誤しながらできるようになっていくものですが、実際にその役割が合わないということもあります。それはなぜかと言いますと管理者という役割自体に求められることが、管理したり、指示したり、指導したりというようなことが必要ですが、それがどうも苦手なのです。そんなに偉そうにしたくないという見方をします。しかし、それで管理ができるならそれで良いのですが、現在はピラミッド型組織の展開をしていることが多いですから管理・指示・指導は必要なので、それが上手くできなければ伸びないということになることは否定できません。
管理者を分類的に考えましたが、これだけではありません。経営者が、管理者一人ひとりの次の成長をどのように作っていくかについては頭を悩ましていることです。それぞれに良さがあり持ち味もありますが、管理者ともなればそんなに時間をかける余裕もありません。やはり、管理者自身が自覚して考える必要があります。その一つとして、学習が足りないと思います。それは仕事の面だけではなく人としての学習です。私もかって組織と自分の在り方に行き詰まりを感じた時に知り合いの経営者に教えていただいたのが池波正太郎氏の鬼平犯科帳でした。様々な人間模様の中に人の生きざまを思い切り読み込みました。先日、若い管理者候補の方々に、この話をしたら笑われてしまいました。それはあくまでテレビドラマという理解でしかないからです。人が人を学ぶということこそが自己を成長させるベースですが、それをどこで何時学ぶか、それとも体験するかです。
組織の在り方が変わろうとしています。今までのピラミッド型組織からチームが集まった組織に変わっていくでしょう。チームの中にリーダーがいるチームもいればそうではないチームも出現するでしょう。何故そうなるかと言えば、人を主体的な存在として見れば見るほど縦型の管理では合わなくなるからです。それを可能にする一つの理由は、デジタル化です。デジタル化が、縦型の管理を必要としなくなってくるでしょう。そうなれば、これまで伸びていた人がそうではなくなる、そのまた逆もあるということが出現してきます。現在は、その変化の過程だという様に見ておくことも必要です。