末永ブログ
天わが材を生ず、必ず用あり
2014年7月21日
「天我(わ)が材を生ず。必ず用有り」。李白の将進酒の中に出てくる一節です。
天が、この世にその人を生じた以上、必ず、その人固有の使命があるという意味でしょう。
生を受けた意味、固有の使命、本当に心から感じ取りたいテーマです。
このテーマを考える必要がある時があります。どんな時か。
やはり絶好調の時よりも、うまくいかない時、方向性に迷う時、決断の時です。
なぜその様な時に考えるかというと、もともと自分はどこへ行きたかったのかが分からなくなって
しまうのです。その時に、自分の原点ともいうべき存在意義を確認すると、そうかと肚に落ちることが
あります。この世に生を受けた意味、つまり、なぜ命という尊いものを自分という存在でこの世に表して
いるのか。天の意図は奈辺にあるかです。一人ひとり全員が、その生を受けた意味があります。
自分の命を俯瞰して観ると大きな価値に気づきます。つまり、自分は、こういうことをやるために
生を受けたと感じるので、もう一度このことをチャレンジしてみよう、と思えます。その選択は、将来的に
違ったと思うこともあるかもしれませんが、納得がいくのです。なぜなら、自分の生の意味を考えた自分が
未熟だったと気づくからです。本当は、未熟ではないのですが、眼の前のことが重要と感じるので、
どうしても選択してしまうのです。
また、自分の使命はこうだとわかっていても、選択や判断決断を、その時は、できないタイミングもあります。
しかし、自分が切磋琢磨することを怠らなければ必ずや我が材を生じた用に気づきます。
できるなら早いほうがいいですが、気づく時が最高の好機でしょう。
考える必要のある時ということで述べましたが、違う視点で考えますと、
誰でもが考える必要のあるテーマです。命は、授かったと考えれば、授かることは当然ではなく
幾多の機の連鎖で生がある意味は、固有の用がなければ成り立たないことです。
その用を考えることは自分を生かすことですし、人を生かすことでもあります。
あなたの用はなんですか、自分自身の納得のためでなく自分を取り巻くあらゆる人たちのために考える
必要があります。何のためにあなたがあるのでしょうか。
本格的な蝉の声から始まる暑さです。周りの夏の花に目を向けてみませんか。
「話している存在」があることに気づきます。
今日の「今から」という前人未到の時間が意義あるものであることを祈ります。
朝の早い時間に蓮の花がとてもきれいに咲いていました。